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2007年11月

2007年11月29日 (木)

劇団ショーマの公開ゲネプロ

高橋いさを率いる劇団ショーマは87~88年ごろ、本公演に「プレビュー公演」という企画を付けた(いつまで続けたか不明)。アメリカのブロードウェイでは、新しい芝居を掛ける時に、まず客の反応を見るためにプレビュー公演を行い、その結果次第では、内容の大幅改変や公演中止もあり得る。そのシステムを小劇場に採り入れて話題をまきたい、という意図もあったようだが、実際は「公開ゲネプロ」、つまり、どこの劇団でも行う本番直前の通し稽古を、本公演より割安価格で見せる、というもの。翌日から本公演をやることが決まっていて、客の反応次第では公演中止もあり得るプレビューとは、少し性格が違った。

ちなみに、私は『アメリカの夜』(87年11月、シアタートップス)『極楽トンボの終わらない明日』(88年6月、ザ・スズナリ)『新版ある日、ぼくらは夢の中で出会う』(88年10月、シアタートップス)のプレビュー公演を見た。私の記録によると、『アメリカの夜』の前のショーマ公演は前売りチケット代が1,800円、『アメリカの夜』『極楽トンボ―』のプレビュー公演の代金は1,000円とある。

この3回の公開ゲネプロの様子がノートに残っている(ただし、『アメリカの夜』のプレビューについては、その時書いたのではなく、『極楽トンボ―』のプレピューのメモを書く時に、思い出しながら書いたもの)。こんなことをメモした大きな理由は、当時の小劇場ファンらの間で、ショーマと、その作・演出の高橋いさをへの注目度が高かったからだ。

「初日通信」186号(87年11月19日発行)で「中林修治」(199号まで使われた筆名)こと小森収さんは、『アメリカの夜』について「物語がスリリングでサスペンスフルで、娯楽の舞台としてのおもしろさに満ちている」などと書いた。そのころ、ショーマは自分たちの作品の特色について「超虚構」という言葉を使い、日常の中に物語の世界が入り混じるような作品にこだわっていたが、『アメリカの夜』では、そのこだわりを残しつつ、一段上の面白さを生みだした、といった評価をしている。末尾では「ほんとうのことを言うと、手練のおもしろさを十二分に楽しみつつ、しかし高橋いさをの才能は、ここで終わっては絶対にならないとオレは思う。『アメリカの夜』はエンタテイメントの魅力をあますところなく発揮しているが、ほんとうの成果はその上に花開くべきものである」という期待もかけている。

私にとっても当時のショーマは、毎公演、楽しみにしている劇団の一つで、脚本・演出に加えて演技陣にも魅力を感じていた。とはいえ、毎回わざわざゲネプロに出かけて、その時に起きたことをメモして、小森さんに情報提供していたのは、小森さんと、「初日通信」の読者の、ショーマに対する関心の高さを意識してのことだった。大したことはメモしてなくて、「初日通信」の「Buzz Banks」のネタにもされなかったが、3回分のメモを見ると、細かい部分が少しずつ変化していることが分かる。プレビューをありのまま見せるのではなく、客に見せるために、演出とか配慮とかしていたのは明らかだ。

『アメリカの夜』/シアタートップス:開演前に制作の男性が、場内の客の出入り口近くに立って「きょうはプレビューで、割引です。皆さん、ご意見をお願いします。うちは貧乏ですから、宣伝してください」などとあいさつして「作・演出の高橋いさをを紹介します」と言う。その言葉で、客の出入り口から高橋が登場し、そのまま、客席中央列より少し後方上手側、通路に面した席に着く。その席には、手元にライトがつく小テープルが置いてある。高橋が着席して、多分、キューを出したのだと思う。それから芝居が始まった。

『極楽トンボの終わらない明日』/ザ・スズナリ:開演前、高橋はロビーのソファに深く座っている。午後7時30分の開演時刻ぴったりに客席に入り、最後列より一つ手前の、やや上手寄りに座る。ライト付きのテープルは無い。そこで観客を無視して「これからゲネプロを開始する。舞監さん、いいですか」と大声で言う。すると舞監が「もう少し待ってください」と。それから1分ぐらいして舞監が「OKです」。それを受けて高橋が「では始めます。客入れ最後の曲が切れるところから」などと合図すると、芝居が始まった。芝居が終わると、カーテンコールはあったが、言葉によるあいさつは無い。終演後、制作スタッフなどが客席に向かって「アンケート、お願いします」などと声を掛けることも無かった。

なお、舞監が「もう少し待ってください」と言ったのを、私は、ゲネプロの雰囲気を感じさせるための段取り(「芝居」と言うべきか)かと思った。だが後で確認したら、本当に「まだ」だったそうだ。また、前回、制作の男性が高橋を紹介する形は不自然だから、(劇団員から「高橋ばかり目立つから」という批判もあったとか)、自然にありのままやろう、ということでスタイルを変えた、と言う。

『新版ある日、ぼくらは夢の中で出会う』/シアタートップス:開演時刻の19時30分ごろ、制作の男性が場内に入って「まだお客さまがいらっしゃるようなので、あと10分ぐらいお待ちください」と言う。すると、客席出入り口から、高橋が一般客のような雰囲気で、バッグを提げて入ってきて、出入り口近くの、通路の上手側に1つだけある席に着き、チラシなどを見ている。それから10分後に、先ほどの制作の男性が場内に来て、客席背後の調整室の人と目を合わせ、なぜか立ち位置を相談、結局、『アメリカの夜』の時と同じ、出入り口付近に立つ。そして「きょう、お見えになったお客さまはこの後、パーティーに招待しようと思いましたが、『自粛』(昭和が終わる前の数カ月間、全国に広まった特殊事情)することにしました」とネタを入れながらあいさつ。さらに「前回、プレビューのお客さんに『アンケートを書いていただきたい』と言いませんでしたが、皆さんの一言が大切ですので、ぜひ書いてください」、最後に「最前列に取材カメラ(5台ぐらい)が並んで、シャッター音がするのを了承してほしい」と言う。この制作の男性が引っ込むと芝居が始まった。

これらの公開ゲネプロは、その前におそらく関係者だけのゲネプロもやったのだろう、と思わせるほど、取り立てて不備などは感じなかった。高橋は『極楽トンボ―』のとき、「ゲネプロの途中で、演出家が『そこ、ストップ』とどなって芝居を中断させるのが、演出家としてはいちばんイイところ。でも、公開ゲネプロで本当にそれをやって、『そっち(芝居を中断させること)の方が面白い』と言われたら、問題だけど」などと話していた。この3回の中では「そこ、ストップ」はやっていない。

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