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2010年12月31日 (金)

天井桟敷を背負っていた新高けい子

1983年5月4日、天井桟敷の主宰、寺山修司が亡くなった。歌人や競馬評論家の顔もあったが、状況劇場の唐十郎と並ぶアングラ演劇人としての側面もあった。歌人の個性を感じさせる抒情的な内容だが、ビジュアルにも独特の魅力があった。私は、追悼公演となった5月16日の横浜市教育文化ホール公演『レミング』のほか、数本見た記憶がある。

わずかしか見なくても、いつも出演していた女優、新高けい子の印象は強烈に残っている。すらりとしたスタイルで目鼻立ちも整っている。天井桟敷の人気のかなりの部分を担っているのではないか、と思った。しかも、その存在感とせりふ回し、雰囲気など、すべてが寺山作品の世界にはまっていた。

その魅力が、寺山と出会い女優になる以前、歌手をしていた経験にも裏打ちされていたのではないか。2010年発行の山田勝仁著『寺山修司に愛された女優 演劇実験室◎天井桟敷の名華・新高けい子伝』は、そういうことを気付かせながら、天井桟敷が演劇界に残したものを考えさせてくれた。

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